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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』〜『ローマの休日』の脚本家のお話

 


映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」予告

    最近観た映画の中で、とりわけ見応えがあったものは「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」だ。この映画は、1940年代後半から50年代にかけてハリウッド映画界を震撼とさせた赤狩りの時代を共産主義者として理不尽な弾圧を受けながら絶大な筆力で闘い抜いた脚本家ダルトン・トランボの感動的な実話だ。

 …という風に書き出すとどんな深刻な映画なのかとしり込みをする人がいるかもしれないが、このトランボさん、実はあのロマンティックな名画「ローマの休日」(1954年公開)の脚本家でもあるのだ。あの脚本を書いていた時がまさに迫害を受けてハリウッドから追放されていた時期であり、友人の脚本家の名前を拝借して見事アカデミー賞原案脚本賞を獲得したのだ。

ローマの休日 (名作映画完全セリフ音声集スクリーンプレイ・シリーズ)

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  • 作者: ダルトン・トランボ,イアン・マクレラン・ハンター,ジョン・ダイトン
  • 出版社/メーカー: フォーインスクリーンプレイ事業部
  • 発売日: 2012/01
  • メディア: 単行本
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   この映画には「ローマの休日」関連のエピソードもたくさん盛り込まれていて、「ローマの休日」に魅せられた人であればとにかく愉しめる作品だろう。家族揃って満員の観客に混じって鑑賞するところとか、アカデミー賞受賞の報せに歓喜するシーンとかが効果的に挿入されている。それにしても、あの「ローマの休日」が、脚本完成時の最初のタイトルが『王女と武骨者』だったとは驚き。友人や長女のアドバイスでようやく、「ローマの休日」に変更されたとは面白い話だった。

   多くの映画人の自由が奪われたいわばハリウッドの汚点ともいえる暗い時代を背景にしていながら、この映画が清々しく感じられるのには理由がある。

 まずは家族映画のテイストがふんだんに盛り込まれていること。奥さんの内助の功も良かったが、長女を重要な場面に何度も立ち会わせ生き証人に設定したところなど巧みで感心するしかない。この一点で映画がいちだんと厚味を増したようだ。当のトランボは1976年に70歳で亡くなっているので、長女たち実際の家族のアドバイスなくしてはこの映画での事細かな家庭内ドラマの再現は難しかったはず。実名での活動が出来ないトランボ氏が偽名でジャンル問わず脚本を量産する際の家族の協力態勢もユニークだった。

 バスタブ内でタイプを打ったり、浴室を書斎代わりにするトランボ自身の風変わりな個性もこの映画のポイント・アップに貢献している。自らの信念に基づき公聴会での証言を拒む強面な反面、同様に不当な排斥を受けた脚本家仲間たちに金銭的な援助をしたり仕事を分け与えたりした気遣いにも心打たれる。仕事に励むあまりに家族との関係が疎かになった際にも、しっかりと自らの非を認め関係修復に努める。人間味あふれるトランボ像の造形が、この映画の魅力につながっていることは誰もが認めるところであろう。

  この映画の優れている点は以上のようにいくつも思いあたるが、僕がもっとも心揺さぶられたのはその抵抗の仕方。仲間は不法な弾圧を法廷に訴えるべきだと主張するのだが、トランボはその訴えを断固拒否する。彼が選んだ方法はというとひたすら脚本を書き続けること。この時点で彼はハリウッド追放の身。大手の映画会社との関係は絶たれているので、小さなB級映画製作会社に自ら出向いて、なりふり構わず脚本のオファーを受けるところが印象深い。超大物脚本家なので最初相手側は訝しがるが、報酬は低額で優れた仕事を短時間でこなす実力者の彼をすぐに重宝がる。もちろん偽名のままでの執筆なのだが、娯楽映画を中心に脚本の依頼が殺到するところなどはこの映画の見せ場の一つにもなっている。

  危険分子としてハリウッドから追われていても、その実一部映画人のバックアップで裏では多くの映画作りには関与していたというのは痛快な話だ。それもこれもダルトン・トランボの筆力あってのこと。ハリウッドから放逐されていた期間に、前述の「ローマの休日」ともう一作「黒い牡牛」(1956年公開)でアカデミー原案脚本賞を偽名で受賞しているのは天晴としか言いようがない。ハリウッド追放の不条理な取り決めが実態を無くした瞬間である。 

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  その後、気骨ある俳優カーク・ダグラスが自らのプロダクション制作の「スパルタカス」(1960年公開)でトランボに声をかけ、ようやく実名での業界復帰を果たすことになる。当時のケネディ大統領がお忍びでこの映画を見て、「いい映画だ。大ヒットする。」とのコメントを報道陣に残したのがTVニュースで流れ、トランボを排斥し続けた陣営がショックを受ける逸話も効果的で溜飲が下がる。もちろん、映画は大ヒットを記録。トランボの脚本家としての実力は折り紙つきなので、赤狩り監視下のもとでも機会があれば一緒に映画作りをしたいと水面下で思っていた映画人は大勢いた証左である。変わり者の映画監督オットー・プレミンジャーが「栄光への脱出」(1961年)の脚本依頼をしたのも同時期であった。

 

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  絶大な筆力のみで強大な勢力と闘って勝利した脚本家の稀有な骨太ドラマである。この映画は1970年の脚本家ギルドの功労賞受賞のスピーチがラストになっているので、正式な意味での自伝にはなっていない。自由な活動が可能になった末の初監督作品「ジョニーは戦場へ行った」(1973年)や最後の脚本作品「パピオン」(1974年)には触れられていないので、この映画が拘ったのは言論や思想の自由とトランボ一家の名誉回復であろう。不名誉な汚名のため不自由な生活を強いられた妻が「スパルタカス」公開後、思わず呟く「ようやく終わったのね」の言葉の重さが見る者の胸を突く。

  脚本家ダルトン・トランボの復活の話にストーリーが集約されているので、ハリウッド追放のより暗い側面は分かりやすく図式化された描写に終始し、潔く省略してある。

  仲間の裏切りや仕事を干されることでの貧困など深刻な赤狩りの全体像は「真実の瞬間(とき)」(1991年公開)等により詳しく描かれているので、これらの作品に目を通すことがあれば、もっともっとトランボの窮地からの脱却に喝采を上げることが出来るに違いない。

   この映画からは離れるが、僕がダルトン・トランボという脚本家を知ったのは「フィクサー」(1969年公開/監督ジョン・フランケンハイマー)を見てからだ。映画を見はじめて間もない時期で、活劇やコメディなどの娯楽作品を中心に映画を追いかけていたので、偶然出会ってその深刻な内容に唖然としたことをよく覚えている。帝政ロシア時代に冤罪で逮捕されたユダヤ人の無実を勝ち取るまでの闘いの話で、今にして思えばトランボの実像にも通じていたようだ。秘密警察の拷問とか凄まじい場面があったことは漠然とは記憶にあるが、内容のほとんどは失念している。僕の社会派映画への傾倒は、この作品に端を発していることに間違いなかろう。人間の尊厳というものの重要性も感じ取った。映画雑誌の年間ベストテン8位選出には、我がことのように喜んだものだ。

   4年後の初監督作品「ジョニーは戦場へ行った」の公開で、トランボは我々若い映画ファンには神様のような存在になった。この映画の主人公がそうなのだが、肉塊になっても生きつづける不条理はやはり人間の尊厳を抜きにしては語れないものだった。大学の映画仲間とこの映画について意見を交わしたことが鮮明に甦ってくる。この作品は映画雑誌ベスト2位選出。翌年には脚本作品が三本公開になり、どれもが映画好きには堪らない名作ばかり。「ダラスの熱い日」「パピオン」「追憶」。そういえば、「追憶」の後半はロバート・レッドフォードの脚本家とバーブラ・ストライサンドの左翼運動家夫婦が赤狩り旋風に翻弄される場面があって、恋愛映画でありながらトランボの関与もなるほどと思わせさすがの内容である。

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   映画「トランボ」のラストシーンの授賞式スピーチで、トランボはかつての赤狩りの時代を称して、悪の時代・恐怖の時代と語りはじめる。英雄や悪者を探しても意味がなく、いるのは被害者ばかりだと、壇上で力説する。不条理な迫害を時代のせいに出来るのはあの暗黒の時代から50年以上経過していたことが重要で、この映画の立脚点にも大きな影響を及ぼしている。随分と大人の映画である。エンディング・タイトル後のトランボ本人の肉声による家族への感謝の言葉も心にしみる。誠実で寛容な制作姿勢は最後まで一貫していた。