父、『シン・ゴジラ』を語る ※ネタバレ注意

 

  この夏最大の話題作「シン・ゴジラ」を公開早々に見てきた。物量宣伝のせいなのか大ヒットしているようだ。確信犯的な味付けなので、許容するファンもきっと多いことだろう。しかし僕はこの映画には否定的だ。作品として頭でっかちな内容で物足りず、爽快感がまるで感じられないのが致命的と感じたのだ。

 

!以降、結末までのネタバレがあります。未見の方はご注意ください!

 

  災害のメタファーとしてのゴジラは1954年版第一作目を踏襲しているが、一作目は今作ほど対策本部の描写が突出してはいなかった。危機管理能力に関する政府関係者のやり取りは何処かのニュースや週刊誌で取り扱われていた焼き直し風で、会議室シーンの長いことと言ったら尋常ではない。119分という上映時間からすると当然のように主役であるはずのゴジラの出番が少なくなる。このバランス感覚も気になるところだ。      

 

   また登場人物が多過ぎるのもゴジラ映画の娯楽色を薄める結果になっている。どうみても有事の際のディスカッション映画を志向しているとしか思えない。

   東京湾に突如現れた怪獣がはじめは愛嬌のある顔立ちで奇妙な動きをするので、アレと思っていると上陸後暫くすると突如脱皮…というか変身・進化を繰り返し、見る間に正真正銘のゴジラに変貌する。

 

  この辺りは何が起こるか分からない常識はずれの展開で、正直面白かった。変態前のゴジラは飛び道具を一切持たず、ひたすら動き回るだけで家屋倒壊などの甚大な損害を与える役割を担う。これは地震災害の際の大津波被害後を想像させる。こうなれば、変態後の成体(?)ゴジラ津波とかの災害で破損した原子力施設ということか。

   ゴジラが成体になってからの動きが少なく、遂には東京駅に立ち止まらせてしまうのがこの映画の最も重要な点である。つまりが爆発寸前の原発施設がもし東京駅にあったら皆さんどうしますかとの問いかけが、今回の型破りな〈震災ゴジラ〉の主題になっている。背中から乱れ飛ぶ熱光線はさながら放射能の飛散で、首相搭乗のヘリコプターさえ射落としてしまう。

 


『シン・ゴジラ』予告2

 

  体内に原子炉を抱いているゴジラはそこにいる、否あるだけで脅威になる。自衛隊の活躍シーンが多いのにもビックリしたのだが、現存している(ように思える)特殊車両・特殊機材などを総動員して立ち向かおうとしていたのは、現実的な有事を想定してのことだったのか。このあたりはひたすらリアリティに拘っており、関係者の対策会議の多さ共々辟易とした。

  この映画に好感を持つ人たちは、きっとこのリアリティ重視の場面とかを支持しているのだろう。ゴジラの凶暴な顔立ちもきっと称賛の対象になっているのでは。本筋のニュース映像風な社会派のドラマの部分がもう少し様になっていれば、僕も期待したエンターテイメント性が希薄であっても一定以上の評価を下していたはずだ。

   最後のゴジラの動きを封じ込めてから口から凝固剤を流し込むことで固まらせた手法は、何か大がかりな建築工事現場に立ち合わされたようであまり綺麗な絵ではなくやはり感心しなかった。福島原発の汚染水を閉じ込める氷土壁は数か月前、具合が悪くなったみたいで現状は計画が中断されているはず。今回のゴジラの凝固作戦がこの氷土壁からのアイデアではないことを祈るばかりだ。

 

  この新作ゴジラシネコンではなく、ミニシアター上映でも構わないマニアックさが際立っている。「エヴァンゲリオン」の庵野秀明脚本・総監督と「進撃の巨人」の樋口真嗣監督のファンの人たちには熱狂的に受け入れられる映画かも、とふと思ったりする。まあ、少なくともオジサンの映画ではないことは事実だ。映画的な虚構は、どんな現実的なリアリティにも勝ると今も信じて疑わない。僕としてはワクワクする楽しい映画が見たかっただけの話なのだが。